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2.21

2017.2.18 信じること、生きること。

 小さい時、世の中は単純に、合理的に、動いているものだと思っていた。だから僕は、自殺をするほど悩む人がいるということが信じられなかった。でも22歳になって、人生経験(たいしたことはしてないけど)を積み上げていくと、生きるということは簡単ではない、むしろとても難しいことではないかと考えるようになった。

 神を信じることで、生きることに目的や平穏を求める人がいる。先日ルクアで本を読んでいると、宗教勧誘を受けた。年齢は80歳前後で、多くのその歳の人がそうであるようにしわが多く、どこにでもいそうな、平凡なおばあさんだ。バスが出発するまで30分ほど時間があり、また少し興味があったので、話を聞いてみた。

 「この世の幸せや不幸は、神様が与えてくれるもの。神を信仰しないから地震津波、事故、癌など、不幸なことに遭遇する」とおばあさんは話していた。うーん。僕は、幸せは自分で行動して生みだすもの、不幸は、自分が原因でない場合、例えば地震などの自然災害の場合、それは逃れようのない偶然だと思う。そのおばあさんは昔、自分が死の淵まで追い込まれるような不幸に遭遇したのかもしれない。神様を信じないと、自分が不幸にあったことの理不尽さを正当化できないのかな。幸い僕は今までそのような不幸に遭遇したことはない。しかし仮に自分が深い、漆黒の海の中に沈められるような不幸に遭遇したとしても、自分の力で這い上がる。神の信仰のせいにはしない。

 「宗教を信仰している人は、自分で物事を考えることができないから駄目だ」とヴァージニア・ウルフのダロウェイ夫人に書いてある。これから不幸なことが起きるかもしれない。過ぎていくものは過ぎていく。得るものを得て、失うものを失って。これから先のことは誰にも分らない。好きな人たちと一緒にいて、好きなことをして、美味しいものをたくさん食べて、充分な睡眠をとって、今の幸せを体全体で感じたい。生きることは難しいけど、他人や神のような人智を超えた大きな存在に自分の人生をゆだねず、自分で考え抜いて生きていきたいと思う。

Oasisというバンド

 最近は時間がありあまっているので、音楽と読書に時間を費やしています。素晴らしい音楽や本に囲まれている日々は、とても幸せ。その2つは血肉となって、僕の体を構成しています。

 少し前に、友人とOasisというバンドのドキュメンタリーを観に行きました。Oasis90年代のロックバンドを代表するといっても過言ではないくらい、爆発的に人気があったバンド(2009年活動休止)。“リアム・ギャラガー“と”ノエル・ギャラガー“兄弟を中心に構成されたバンドで、楽曲はもちろん最高にカッコいいんだけど、ヒールな発言でたびたびタブロイド紙をにぎわせたことでも有名。

 そのドキュメンタリーは結成から、20万人を動員したネヴワース公演までを追いかけたドキュメンタリーだったんだけど、終始鳥肌が立ちっぱなしだった。いやー、バンドってかっこいいなあ。ロックンロールって最高だなあと、改めて思いました。特に、リアム・ギャラガーに魅かれた。言動、行動、ライブでの立ち居振る舞いすべてからロックスターというものを感じた。また、ノエル・ギャラガーがなにかのレコード賞をもらった時のインタビューで“企業のブタどもからもらった賞なんかいらねえよ”という発言には、日本のロックバンドにはない“本当の”ロックというものを感じたな。Oasisが好きでなくても、音楽が好きなら観てみる価値はあると思う。

 

と、ロックンロールは最高!という話をしたんだけど、少し前から、エレクトリックやアシッドジャズといわれているものを聴いています。”Tycho””Manuel Tur”、日本のグループ”Nulbarich”などなど。僕は大人になったのかあの血も涙もない大人になったのか(偏見)と思うのだけれど、どうなんだろう。ロックンロールにこぶしをつきあげるようなアツい魂が自分の中から徐々に消えていっている気がする。それよりも、お酒片手にしゃれた音楽で横揺れしてえというキザなやつになっている。山中はアツい魂を無くし、キザなやろうになりました。明日もお洒落な音楽とお洒落な本を両手にもって、キザな一日をおくろうと思います。

2017年 酉

2017.1.09

 年があけました。そして前回blogに書いたとおり、地元に帰ってきました。京都を離れるのはすごくさみしかったけど、地元は意外と居心地が悪くない。星がきれいだし、空気はなんとなく澄んでいる気がするし、ねこは可愛いし、ご飯は美味しいし。毎日お風呂に浸かれるのもいい。帰省して10日ほど経つけど、本を読んで、音楽を聴いて、ぼーっとして、のほほんとした日々を過ごしているよ。こんなかんじで、3月まで自由な時間を楽しもうと思う。

 2017年は、僕にとってとても重要な一年になりそう。4月から、文字通り働きアリのように働かねばならんからね。モラトリアムの象徴、堕落の肖像、暇人の極み、人生の夏休みといわれている大学生活を経験して(個人差があるけど)、どうして社会に出て働けるというのだろうか。いえないです。アルバイトもろくに長続きしなかった自分が、社会に出て、社会人としてまともに働ける気がしない。大学生活を経験した先人たちは、どのようにして人生の夏休みから人生の墓場へとスイッチしたのだろう。教えてほしい。

 4月から妹が大学生になる。羨ましい。自由で時間のあり余っている4年間を有意義に使ってほしいな、と思う兄です。

ヴィラホワイト

2016.12.28

 明日で京都からしばらく離れることになった。本当に寂しい。2013年の3月末に引っ越してきて3年9か月。この街には、この家には、僕のモラトリアムの結晶が散らばっている。

 大学に入学してから1年ほどは、東京に未練があった。(入試で東京の大学に落ち、京都に進学することになった)田舎出身だから、キラキラした都会に、キラキラした大学生活に憧れていた。京都は地元西脇よりはもちろん都会だけど、やっぱり東京と比べると“田舎”感があって、なんだかなあという生活を送っていたなあ。でも、今となっては京都が本当に大好き。賀茂川があって(本当に良いところ。賀茂川があるから京都に住みたいといっても過言じゃない)、河原町でたいていの物事は完結するし“都会と自然の調和”があるのが本当に良い。将来的に、京都市内の賀茂川が近いところに住めたらいいなあと思う。

 ひとつ、運命的なものを感じることがある。ヴィラホワイトで一柳と出会えたこと。1回生の中頃にオリジナルバンドを組んで仲良くなって、217号室で酒を飲んだり、ゲームをしたり、しょうもない話をしたり、また台湾旅行にも行ったり、本当によく遊んだ。また色々なカルチャーに詳しくて、よくCDや小説や漫画を借りた。1回生の時の自分と今の自分で殆ど正反対に変わったのは、一柳の影響だろうな。不思議な空気感を持っている人で、とても尊敬している。そして、僕はヴィラホワイトで一柳と遊んだこと、皆と遊んだことは忘れないだろうな。本当に楽しかった。皆と出会えて、京都に来て良かったと思う。

 まだ引っ越しの準備が終わっていない。今からスーパーに段ボールを貰いにいって、食器を詰める。もう少し。あと少し。この3年と9か月に思いを馳せながら、最後の夜を過ごそうと思う。 19:25

mew mew

 実家で、二年と半年ほど前に猫を飼い始めた。山中家は代々犬派で、まさか猫を飼うなんて予想もしていなかったから心底驚いた。(当時は既にウェルシュ・コーギーを飼っていた)
 猫種は、スコティッシュフォールド。雄。家猫。白の絨毯に珈琲をこぼしたような淡い茶色で、なんといっても母に甘やかされているから、太い。家族と共に起床して、丸々午前中は縁側で外を見て、鳥を捕まえたり、綺麗な雌猫を見つければその子とデートをしたりするなど、空想に耽っている(多分)。午後からずっと寝ていて、おなかが減った時だけ僕たちを呼び、食べるとまた寝るかボーっとしている。
   僕はずっと犬派だったけれど、猫も飼ってみると可愛いなと思う。自分の部屋で本でも読もうかとリビングから移動すると、自分の後ろからひょこひょこと着いてきて、五分ほど部屋でボーっとしてから、またどこかへ行く。たまに撫でさせてくれるけど(本当に気分が良いときだけ)、大抵は撫でると噛んでくるか、どこかへ行ってしまう。母や妹は、そうでもないみたいなんだけど。きっと3ヶ月に一回ぐらいしか実家に帰らないから、自分になついていないんだろうな。
 猫の気ままなところが好きだ。世間体をきにするとか、生産性の無い日々を送ってしまったことを悔やむとか、そんなことは一切感じずに、ああ、生きるってこういうことで良いんだなと思う。見習いたいけど、きっと自分には無理だろうな。今日も一日何の生産性もない一日を送ってしまって。自己嫌悪に陥っているし。
 社会人になって少し落ち着けば、猫を飼いたい。スコティッシュフォールドマンチカンみたいな、少し鈍くさそうな猫。一つ問題なのが、彼女に猫アレルギーの気があるところなんだけど。

(2016.12.10)

「ほんとうに大切なものは、目に見えない。」

 

12.4 

 部活動の追い出しコンパでした。自分たちが追い出される立場になった。

2バンド演奏したんやけど、出来はともかく、本当に楽しかった。無心で演奏できた。

皆ありがとう。

 飲み会を早く抜けて、彼女と木屋町にある「みよし」というラーメン屋に行った。博多ラーメン。2人で1つの器を分け合いながら、食べた。絶品。ここは3年前の飲み会の後に先輩に連れていってもらった店で、久々の来訪。なにかとてつもなく懐かしい気持ちになった。こういったなにげない日々の出来事、例えば飲み会後に行ったラーメン、友達と銭湯で話したしょうもない話、一見浮浪者みたいな、でも服装はこぎれいでチグハグな大家さんとした世間話が、いつまでも心に残っている気がするのは何故だろう。

11.30
    久々に充実した一日だったように思う。と言うのも、最近は本を読むだけで一日家に引きこもってばっかだったからな。
 午後から二つのスタジオ、これはどちらとも大好きなバンドのコピーだから、本当に楽しかった。長らくギターを弾くことに惰性を感じていたけど、ギターを初めて触った時のような多幸感に満たされた。そこからかずきと大学の食堂へ。こちらも久々に二人で飯を食った。トンカツ。安いしうまいしぼちぼち早いし、最強の三拍子が揃っております。トンカツ+味噌汁で450円!
 夜には彼女とドライブ。いつもの場所から車に乗って、まず山科へ。くら寿司へ行く。思い返せば、なんて贅沢な一日…。彼女と食べるご飯は、いつも美味しい。今日のイカ(一番好きなネタ)は、格別でした。そこから夜景を観に、将軍塚へ。京都は高層ビルが無いからさほど期待していなかったんやけど、思っていた以上にきれいでした。一つ一つの光がまるで人々の魂のように揺れていて、また、その光に"生活"を感じた。きっと晴れていたら星もきれいに見えていたろうなと、少し残念だったけれど。そこから少し歩くとお寺があって、ちょうどライトアップの期間だったので、入館したり人がとても少なくて、京都で静かに紅葉を観れるのはとてもラッキー。ずっと観たいと思っていたガラスの茶室があるお寺で(たまたま)、ああいった場所にアーティスティックな物体があるのは妙な違和感で、それがまた良かった。帰りは京都市内をドライブ。ドライブスルーをしたりして(自分が運転する車では初めて)、なかなかに楽しかった。西院の方に行くと、「ローム」という京都の企業が道路の両端の木に盛大なイルミネーションを催していたので、通ってみた。こちらは単純にきれい。またまたラッキーでハッピーな気分に。最高。小一時間ぶらぶらして、彼女を駅に送った。
 帰りは、一人で駐車場まで。たまたまラヂオを聴いていると、僕が高校生の頃に大好きだったバンドが番組をしていた。これもまたラッキー。
 こんな日が毎日続くといいなと思うけど、きっと退屈な日々があるから、こんな日が映えるんだろうな。今日は、退屈な日の予感。本を読んで、英語の勉強をして、ギターの練習をして、退屈な日なりの、充実した日になればいいなと思う。

(12.2 22:40 ぼちぼち充実した日になりました)